月曜日
頭痛がひどかったが大学に行った.
着いてメールを処理していたら指導教員に「なにしてるの?」と聞かれたから「メールに来てたアンケートに答えるために調べてます」と答えたら「それは知らんよ」とか言われて,この人は何のために話しかけたんだろうかとなった.
そんなことは聞いてないというか,もっと違うことすれば?みたいな言外の雰囲気を感じたけれど,今書き出すと,調べていることに対して単に知らないと言っただけの気がしてきた.
恋人は会う頻度を下げたいらしい.
時間を減らしたいわけではなく,回数を減らしたい,というのはどういうことなんだろうか.
夜の寝る前のゆったりした時間を確保したいというのが理由で,じゃあ昼なら毎日でもいいのかというと分からないと言われた.
分からないのは仕方ないけど,頻度が変わると何が嬉しいのか私がよく分からない.
これまで会う回数があまりなく,一方で得られる私の情報がTwitter越しだけだったから,実感を得るために付き合ってみたかっただけなんじゃないだろうか.
メタルスライム的な.
それか,距離を置きたいのかな.
恋人や配偶者という関係は,もちろんそういう相手を慈しむ気持ちもあるとは思うが,法律のような世の仕組みを使っていくために契約を交わすのが楽だし,私はそれでいいし,そういう考え方を了承する人と契約を交わすと考えていたと付き合う前に伝えた.
すると,恋人は最終的にメリットがあると嬉しいけれど,それは後からついてくるもののように言っていた.
依存しないけれど,利害関係のためでもないとはどういう関係なのか,間は何なのか,何をしているのか.
距離を置くことが依存しすぎないことに繋がるのは分かる,が何も残らなさそう.
彼と私はそれでいいのか,いいんだった.
育った家庭が違うから振る舞いも違って,恋人の振る舞いが雑だなあと思うことがそこそこあるから治してもらうように言おう.
そういう雑さがあっても人に嫌われず,うまくやっていっていけている恋人が羨ましいと思う.
昔の友人に近況(といっても報告のようなものではなく他愛のないものだろうが)をLINEし,知らない人にも気兼ねなく声がかけられ,許容される迷惑への自覚にバランスが取れている.
何かに熱狂的になることがなさそうなのでもともとあまり特徴がなさそうで,それでいてバランスの取れたいい人ということで特徴のなさに拍車がかかっているなあと思った.
私は神経質で気になっていた振る舞いがちょこちょこあったが,言うのもどうかと思って黙っていたけれど,一般的にはどうなんだろう.
1年に1回泊めるか泊めないかの友人の行動を諌めるのは面倒だと思うし,後から自分がどうにかすればいいと私なら考える.
そういう他人の優しさを知って,雑さを踏み倒しているのはどうかなあと思うけれど,する側からすれば言えばいいのにって思うのも分かる.
振る舞いを治してほしいというお願いはどうなるのかな.
会う頻度を下げる話も親密になる前に提案したけれど実行されなかったし,恋人は実感がないと行動に移らない傾向があるかもしれない.
とりあえず言う,を目標にしているので言うことにはするけど.
人間というハードの限界ではあるけれど,恋人は私が覚えている一緒にいた記憶を話しても覚えていないことが,ままある.
本人が行動していればまだ覚えている可能性が高くなるが,それでも覚えていないことも,先述の言われるまで踏み倒している感じもあるし,この人のために身を粉にする必要はないんだなあと思い直した.
記憶していることが愛の証左になるとは思っていないし,すべてを記憶することは無理だと分かっているけれど,何とも言えない空振りをしている気持ちになる.
その人との記憶の積み重ねが,どういう関係や距離を保てばいいか形作るものだと思うが,記憶がないのにそれが分かるというのはどういうことだろう.
記憶が感覚に還元されるのだろうか.
親との記憶は多いこともあって,昔になればなるほど,些細になればなるほど覚えていないことに気付いたけれど距離が近い関係にはなっている.
正直,親子は親と子という役の影響だと思うが.
あるいは,数学の漸化式のように,現在の関係=最近の記憶+これまでの関係というふうに更新されていくんだろうか.
研究室で,締切駆動と出来の悪さ(というか,1年半以上経って未だに変わった分野に馴染めていないだけだと思うが,馴染むための努力を怠っているとも言う)から期待されていない,蔑ろにされているなあと感じた.
期待されているプレッシャーは苦手だが,精神衛生のためにはまだ期待されているプレッシャーのほうがマシだと分かった.
そもそも性別的にセクハラが怖いからか腫れ物に触るような接し方になっている気がするし,同期からそういう接し方はないがこの界隈では全体的には生きづらいのかもしれないと研究室に所属してから感じるようになった.
今の大学を教えてくれた人が,学内で研究者になっているのを見た.
後輩の発表をチェックしようと検索していただけだが,同じ研究室なので当然ヒットするわけで,地雷だなあという気分になった.
企業ではなくアカデミアにいるのが不思議だったけれど,彼はしっかりと歩んでいるのに期待されなくなっていることも含めて私は何をしているんだろうなあと思った.
悔しいなあ,私もせめて目の前の発表を頑張ればマイナスをゼロにできるかなあと考えたけれど,きっといつものように数日後にはけろっと怠けているんだろう.
喉元過ぎれば熱さを忘れるを地で行ってしまうのをやめたい.